田舎に戻った僕はこんな人 学生時代

こんにちは。山本庸介です。

今日は田舎に戻ってきた僕の略歴を書きたいと思います。
ちょっと長くなりそうなので数回に分けて書きますね。
今回は大野市で育った頃です。

生まれ

福井県大野市で生まれる。
祖父、祖母と3世代同居で、祖父・祖母・母親は学校の先生。親戚にも学校の先生が多く、教師の家系だったようです。近所の人からは竜馬先生(祖父の名前)の孫と言われることが多く、当時の僕はそれに違和感を覚えませんでした。祖父が他界して30年経った現在でもたまに言われることがあります。田舎なので2,3人を経由すればたいてい繋がるので自分の言動には気をつけようと思います。

小学校時代

小学校低学年の頃に親戚のお兄ちゃんからファミコンをもらい、めちゃめちゃはまりました。
学校から帰ったら友達とゲーム三昧。友達が帰っても1人でゲームしてました。おかげで3年生の頃からメガネをかけることに。スーパーファミコンが出てきて余計にゲームに没頭しました。特にRPGが好きでドラクエとファイナルファンタジーは一生やり続けると思っていました。

教師一家なのですが、実家でタバコ屋をやってました。タバコの自販機の小銭を回収して、いくら入っているか数えるのが楽しかったです。この当時からお金に興味のある子どもでした。

中学校時代

ゲーム機はスーパーファミコン、プレイステーションと変わっていきましたがゲーム好きは相変わらずでした。暇さえあればゲームをしていました。母親からは勉強しろ勉強しろばかり言われます。思春期になり反抗期に突入したこともあり、勉強しろと言われるたびに勉強したくなくなり、ゲームをしていました。

父親は海外で勤務しており、おじいちゃんも孫には甘いので、暴れ放題でした。母親はだいぶ参っていたと思います。反抗期は現在でも続いていますが。田舎なので、大野市に普通科は1校だけ、市外に行けば進学校はあったのですが、そこに行く人はほとんどいませんでした。私も何も考えず、大した受験勉強もせずに地元の普通科に入りました。

高校時代

大学進学について考える頃になります。反抗期は継続中で、家にいるのが嫌でたまらなく、絶対に県外の大学に行こうと思ってました。お金が好きだったので経済学部もいいなと思っていたのですが、頭が完全に理系でした。高校3年生の時に大好きなの祖父の他界もあって医療系を志します。ただ、お医者さんは血を見るのが怖いから絶対無理だと思ったので薬学部を目指しました。当時から食いしん坊だったので、たこ焼きとお好み焼きがたくさん食べれると思って大阪大学を目指しました。

センター試験の結果は、理系科目は全て満点(数学2科目、化学、物理)、文系科目は6割ぐらいというかなり偏った結果になりました。2次試験の出来次第で合否が分かれるところ、試験前日に39度の高熱を発症、座薬を突っ込んで試験会場へ。頭がフラフラする中で受験。本番に弱いなと思いながら、最後まで諦めずに解答用紙を埋めました。

ダメだっただろうな、後期試験頑張ろうと思っていたところまさかの合格。めちゃめちゃうれしかったです。後日、試験の点数開示をしたところ、合格最低点と私の点数が同じだったことが発覚します。数学の問題でヤマ勘で『a=3』と回答していたところが合っていたのですが、一生分の運を使い果たしたなと思いました。この後何か悪いことが起きても、自分の人生の運は使い果たしたと思うようになりました。

予想通り長くなりそうなので今日はここまでです。
大野市を出てからの話は次の記事で書こうと思います。

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プロフィール

脱サラして福井県にUターンして税理士に。生まれ故郷の大野市のために何かしたいとお客様のために頑張る人。難しい話を難しくない言葉で喋ります。薬剤師の免許と米国公認会計士の資格あり。数字を見るのが三度の飯と同じぐらい好きなえびす顔。苦手なことはダイエット。

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