田舎に戻った僕はこんな人 大学~大学院時代

こんにちは。山本庸介です。

昨日の記事では大野市で育ったお話でしたが、今回は大野市を出て過ごした大学時代から書こうと思います。

大学時代

念願の田舎から出て一人暮らしを始めます。
とにかく家を出たかったのに、いざ見知らぬ土地で一人暮らしをすると、いきなりホームシックに。ゴールデンウイークに地元に帰るのが待ち遠しかったです。

徐々に大阪での生活に慣れていき、ホームシックもなくなりました。叱ってくれる人もいないのでゲーム三昧。お盆と正月は帰ってこいというのが億劫になっていきました。念願のたこ焼きとお好み焼きもたくさん食べました。1個10円で売っているたこ焼きを見つけた時は衝撃的でした。

勉強はというと、一般教養課程で打ち砕かれます。高校まで大好きだった化学が私の知っている化学ではなかったです。勉強についていけないのですが、プライドが邪魔をして、同級生には『やったらできるけど、やらないだけ』というスタンスを取るようになり、勉強から余計に遠ざかりました。他学部の友達と徹夜で麻雀するようになり、パチンコ、パチスロ等のギャンブルにもハマっていました。授業もほとんど受けませんでした。当時はダイヘンと言って、授業に出ている友達に代わりに出席してもらうことが可能?だったので、授業はダイヘン、試験はカンペで乗り切る典型的なダメ学生でした。

大学院時代

同級生の90%ぐらいが大学院に行くので、何も考えずに大学院に行くものだろうと思って、大阪大学大学院薬学研究科に進学を決意。流石にカンペでは乗り切れないので、必死で勉強しました。『やったらできるけど、やらないだけ』のスタンスだったので、ここで失敗するわけにはいきません。何とか合格。教授との面接では、『君、成績悪いね~』と言われましたが。座学の授業は全く好きではなかったですが、研究室に配属になってからは実験が楽しく、夜中まで実験していました。薬剤師の資格も取得しましたが、と同時に大学院の研究室で専門的な分野「のみ」に特化して、将来は大丈夫か?と思うようになりました。

高校生時代に経済学部にも興味があったことを思い出し、通信教育で経済学も学べばいいんじゃないかと思い、慶応大学経済学部の通信課程に入学。理由は年間授業料が5万円程度とめちゃくちゃ安かったので、これなら払えると思ったからです。この通信課程を卒業するのはとても大変だったのですが、それはまたいつか別の機会にお話ししようと思います。

学生時代のお話はここまでです。
ゲームが好きで、お金を数えるのが好きだった子供時代、反抗期と共に田舎が嫌で早く出ていきたかった思春期、将来を真剣に見つめた大学・大学院時代のお話でした。

明日は就職してからのお話です。

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プロフィール

脱サラして福井県にUターンして税理士に。生まれ故郷の大野市のために何かしたいとお客様のために頑張る人。難しい話を難しくない言葉で喋ります。薬剤師の免許と米国公認会計士の資格あり。数字を見るのが三度の飯と同じぐらい好きなえびす顔。苦手なことはダイエット。

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