田舎に戻った僕はこんな人 会社員編

こんにちは。山本庸介です。今日は会社員時代のお話をしたいと思います。

大学院修士課程終了後、7割ぐらいが製薬会社に就職します(残り3割ぐらいが博士課程へ進学)。
特に考えるわけでもなく、就職は製薬会社だと決め込んでました。

会社員時代(エーザイ株式会社)

製薬会社と言っても、研究職、開発職、営業職、生産技術職等の様々な分野に分かれます。その中で選んだのがエーザイ株式会社の生産技術職でした。選んだといっても運よく引っかかっただけ。何かやりたいことがあるわけではありませんでした。

生産技術職といっても、1年目の配属は医薬品の工場現場で体を動かす仕事です。工場現場作業者というとあまり良いイメージを持たない方が大半だと思います。私もそうでした。しかし、ここで社会人としての基礎を叩き込まれました。教科書的な勉強ではなく、実践を通じて苦しいことも人間関係についても多くの学びがありました。

入社4年間は製造現場で働き、その後品質保証部へ異動となりました。同じ工場でも全く異なる仕事です。品質保証部は製造現場が作ったものを市場に出荷するかどうかを最終判断する部署です。どれだけコストをかけて製造したとしても品質が悪ければ出荷しない、門番みたいな役割です。

会社員時代(武州製薬株式会社)

新しい部署での仕事にもようやく慣れてきたころにエーザイ株式会社は私が勤務していた工場を武州製薬株式会社に売却しました。従業員はエーザイ株式会社に残る選択肢も用意されていましたが、私は武州製薬株式会社に転籍を選びました。突然の出来事でした。M&Aとか事業譲渡、早期退職募集など、新聞やテレビでは見聞きしていたことが、まさか自分に降りかかってくるとは。他人事だったニュースを身近に感じた瞬間でした。

武州製薬株式会社でも変わらず品質保証部関係の仕事をしていましたが、会社が変わったことで、全く違う会社で自分の力を試したい、市場価値があるのか確認したいと思うようになりました。その結果、外資系のメガファーマの日本部門、ノバルティスファーマ株式会社本社の品質保証部に転職することとしました。

会社員時代(ノバルティスファーマ株式会社)

東京の虎ノ門ヒルズの高層階が私の勤務するオフィスです。全面ガラス張りで東京タワーとスカイツリーが両方見えます。当時の自宅は群馬県にありましたが、東京のオフィスまでは新幹線通勤です。ノバルティスファーマグループの一員として、ヨーロッパ、アメリカ、シンガポール、中国等と仲間とコミュニケーションを図りながら仕事をしていきます。メールの半分以上は英語です。チャットも英語で入ってくるのですぐに英語で返事しないといけません。数は少なかったですが、海外とのミーティングもありました。

僕はそれまで「都会のサラリーマンってかっこいいな」と思ってました。

でも、現実は甘くありませんでした。当時の自宅があった群馬県から東京のオフィスまで片道2時間の通勤です。1日24時間のうち、4時間を通勤時間に割いていました。最初は「通勤時間は長いけど、その間に本を読んでインプットの時間に当てればいいよね」と安易に考えていました。けど全然集中できないですね。自己啓発の本にはスキマ時間とか、それっぽい書いてあったけど、そんな上手くできないよと思いました。こんな生活をずっと続けるの?…と考えるようになりました。

いや、以前から心のどこかではわかっていました。僕は都会が苦手なんです。人混みが特に苦手。
朝の通勤電車とかめちゃ嫌いで、オフィスに着くまでにぐったりします。そして、都会のスタイリッシュな雰囲気も苦手。鏡の前にいる私の姿はチビ、デブ、ハゲ、メガネの4重苦です。全く都会の雰囲気に合いません。毎日がおのぼりさん状態です。

…つづく

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プロフィール

脱サラして福井県にUターンして税理士に。生まれ故郷の大野市のために何かしたいとお客様のために頑張る人。難しい話を難しくない言葉で喋ります。薬剤師の免許と米国公認会計士の資格あり。数字を見るのが三度の飯と同じぐらい好きなえびす顔。苦手なことはダイエット。

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